2023/11/30木

ダイ・ハード2みた

きのう昼にダイ・ハードシリーズを借りた。帰ってきて早速2を再生した。「うわこんなオープニングだったかー」なんて懐かしみながら、冒頭3分だけ見た。80年代90年代アクション映画の画面のザラつきは、ブルーレイでも健在だ。あとは夜のお楽しみにとっておいた。

昨晩は20時半にはフリーになった。グランツーリスモ、シティースカイラインなんかをダラダラ遊んで、21時過ぎから見始める。セットしたヨギボーに体を預けて、毛布をかぶる。左手を下ろしたところにリモコン、右にはiPad。共感シアターのダイ・ハード2動画を再生する。リビング宇宙船は準備万端だ。

ダイ・ハード2の鑑賞は小学生以来だろうか。あの頃よく日曜洋画劇場とかで、この年代のアクション映画をよく観た。観たという観せられた。コマンドーを筆頭に、ランボープレデター沈黙の戦艦暴走特急ジャッキー・チェン関連。ビバリーヒルズ・コップも好きだったな。僕の映画的な素養というか価値観の土台は、このときに培われたものだ。

子供心に2は微妙だった。1,3は面白くて印象に残っているのに、2の記憶は断片的にしかない。当時はよく海外旅行をして空港を利用することが多かった。舞台が空港だから、動く歩道での銃撃戦なんかには臨場感があるというか、子どもでも身近な経験に照らし合わせて事態を評価できたので戦慄した覚えがある。ただ、衝撃的なシーンをちらほら覚えているだけで、話の流れとかなにがどう決着したのかなんてまるで覚えていなかった。

見直すとそれも無理ない。1,3にくらべると、ひねりがなかったり、鬼気迫る感じとかが全体的に希薄で、ガーと話が進んでいって終わる大味な作品だからだ。1,3は同じ監督で、2は違う。知らなかったが、子どもの頃でもなんとなくの作品のテイストの違いみたいなものは肌で感じていたようだ。

幼い頃に感じていた疑問は、どうして映画に出てくるオトナは2人きりになるとキスばっかりするのだろう?ということだった。アクションとアクションの間で、よく分からないキスから一連のシーンが挟まれるので、すごく邪魔だった。延長する野球中継みたいなものだ。だからロマンス多めの007なんかは好きじゃなかった。この傾向は今でもあって、肉体、銃器、格闘技、これらの純度の高いアクション映画が好きだ。

 

北野武監督の『首』みた

11時からの回に間に合いそうだったので行くことに。事前に予約サイトでみた座席の埋まり具合は、5人ほど。安い水曜日と明日のファーストデーに挟まれた、うまみのない曜日だ。auスマートパス入会特典の500円クーポンを使った。ネット予約不可で、有人のチケット窓口に行かねばならない。自動化が進むシネコンで、なんでチケット売り場に有人カウンターが設けてあるのか不思議だったが、こういうときに役立つらしい。500円の支払いは現金かカード。本当はカードがいいが、暗証番号の入力とか逆に面倒なので、たまたまあった新500円玉で支払った。

座席はC-10。お姉さんが映してくれたディスプレイで選んだ。いつも見るスマホやPCの画面と違って、縮尺が把握しづらかった。まわりに人がいない真ん中を選んだ。
「前の方ですが大丈夫ですか?」とお姉さん。
はい、と答えたが、訊かれると急に不安になってきた。前すぎて見づらいんじゃないか、もう1列下げてDにします、と言うタイミングは1回あったが、手続きの流れを意識するあまり口に出せなかった。まあ、いつもは最後列をとるので、たまには前を味わうのもいいかなと。結果的に前でよかった。音も映像も迫力がある。後ろだと人の動きとか気になっちゃうし。これからは後ろより、前の方に座ろう。

なにを映画のお供にするか問題だ。前はキャラメルにした。小さくてポイっと口に入れるだけだからいいかと思いきや、歯にくっつくし、銀歯がとれる恐怖感もあって、映画に集中できなかった。今度は、反省をいかしてチョコレートにした。ただ1回も食べるタイミングがなかった。座席が前のほうだと気軽に動けない。お菓子の袋を持ち上げてガーッと口に放り込むなんて振る舞いは当然できない。食べ物を直接手でつまむのは、生理的に避けたいので、個包装タイプのものを選ばないとダメだ。

映画の感想。おもしろかったか? 素直にいうとNO。観たあとに「あー面白かった」と言える映画がいい映画か? と聞かれたら、これも違う。なんかいいもの観れたな、と思えたらそれでいいわけなのだが。観終わって腑に落ちる感覚もない、娯楽作としてスッキリするわけでもない。いい映画をみると、なにかよく分からない感情に支配されることがあるが、そのなんともいえない味わいが残るわけでもない。

予告編に挟まれていた、曽呂利新左衛門役の木村祐一氏のセリフが棒読みっぽく見えて、「ほんとに大丈夫か?」「木村さんが出てくるパートが少ないならいいが…」と思っていた。が、本編では木村氏が出ずっぱりというか大活躍していて、演技もあの一場面が変に見えていただけでこれは安心した。なんならいい役だったし、武将より曽呂利新左衛門のストーリーが観たくなった。服部半蔵役の桐谷健太さんもよかった。

いつだれがどう死ぬかも分からない、って状況は戦国時代の空気感なのだろうか。人がすぐに死んでいく。人の命にほとんど価値がない。誰がどう死んだのかもわからない。首が唯一、その死を証明するものであるが、その首もだれが落として、だれがどこへ持っていったのか判然としない。生も死も偽装される。だましあい、ばかしあい。

リアルというか、死体を、首が飛ぶところ、断面なんかをちゃんと映す。馬が戦場を駆ける。素晴らしい躍動感がある。基調の現実感はあるが、ときどきそのリアリティを崩すような場面が差し込まれる。呪術的、特撮的、アドリブ的なシーン。それが妙に心に引っかかっている。表現をつくる上で、?がつくようなスパイスをあえて入れることが作品を際立たせることになるんかなーと、学びのようなものも得る。